介護スタッフの口コミ・仕事内容
2017/02/28
介護スタッフの社員・バイト・パート等の口コミと年収と給与。
こちらでは介護施設で社員・バイト・パートなど介護スタッフとしての経験をしたことのある方からの口コミや体験談・年収や実際給与などの実態をご紹介いたします。仕事内容のよい点ばかりでなくきつい点などを踏まえ、これから介護職員としてお仕事を検討している方に参考となれば幸いです。
(また介護スタッフのお仕事を経験したことがある方からの、お気軽なご意見などもお待ちしております。「私の場合は、〇〇だった!」とか、または「そんなことない!」と異論などもございましたら、記事下のコメント欄よりご意見をお送りください。)
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続けてよかった介護の仕事
年齢と性別 | 50代前半・女性 |
介護施設の形態 | 総合病院の他、地域密着事業 通所リハビリ等 |
介護職員として働いた期間 | 16年間(現職) |
介護職員時代の給料や年収 | 年収350万円(賞与あり) |
意外と楽しかった「デイケア」
私は、36歳で離婚しました。
それまでは専業主婦でしたし、子供も小学生だったので働かなくてはなりませんでした。なのでこれからは介護の時代だと思い、ヘルパー2級(介護職員初任者研修)の資格を取得しながらその間に現在の病院に務め、かれこれ16年になっています。
そのように右も左もわからない状態から始め、3年して必死に介護福祉士を取り、それから契約社員から社員となりました。
最初はデイケアでの配属となり、毎日とてもたのしく、かえって利用者に癒されてもいました。「便の処理」も仕事のなかで慣れてゆき、そのうちなんとも思わなくなりました。
介護病棟へ移動から再びデイケアで今度はリーダーに。
そしてその後は介護病棟に移動となりました。
こちらはデイケアとは違って、オムツ交換・入浴・食事介助などの流れ作業的な所もあって、体力的にもキツイです。
ただ、病棟の先輩に聞いてみると以前のデイケアはサービス業で、お客様であり利用者の方のご要望をなるべく聞き入れるというスタンスなので、そちらの方が苦手という人もたくさんいました。
どちらを選ぶのかは、やはり向き不向きがあるみたいです。
またその後は、再びデイケアに戻って今度はリーダーをする事になりました。こちらは全体的に管理業務や会議も多く、また部下がきちんと仕事をしているかいつも気を配るなどと、貴重な経験ではありますが孤独な仕事でもありました。
どんな仕事もやはり人間関係次第だと思います
そして現在は、地域密着事業のグループホームに移動となっています。
グループホームとは認知症のお年寄りを、24時間365日介護している施設です。夜勤もあり生活のリズムはくずれますが、すでに子供は成人して巣立っているので自分のペースで生活はできています。
やはり、現場は楽しいです。
利用者に癒されるし、私にとってはセカンドハウスの感覚です。私が出勤するとみんなが「おかえりなさい 」と声をかけてくれます。
でも給料は、決していいとは言えません。また、可愛いお年寄りばかりでもありません。
そしてどんな仕事も同じだと思いますが、やはり人間関係が1番大切です。入職してはすぐに辞めて行く方は沢山います。私も給料の明細を見る度に、何度退職しようと思ったかわかりません。
続けてよかった介護のお仕事
また他の所に面接に行ったこともあります。
ある意味、今でもいつ辞めてもいい気持ちで働いています。それは仕事が嫌というのではなく、人間関係や他のしがらみを意識しているからです。
やはり介護の仕事には「向き、不向き」があると思います。もし仕事として利用者の方、お年寄りと関わる事が楽しい方には、是非お勧めしまします。
もしかしたら給料は割に合ってないかもしれませんが、私は続けて良かったと思っています。
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介護職で働くための一番の基本
年齢と性別 | 30代・男性 |
介護施設の形態 | 在宅介護支援事務所 |
介護スタッフとして働いた期間 | アルバイト半年・社員3年程度 |
介護スタッフ時代の給料や年収 | アルバイト:月10万円・社員:月15万円 |
私が介護職で働くことになったきっかけ
私が介護職で働くきっかけになったのは、当時病院で入退院を繰り返していた曾祖母が寝たきりとなり、やがて在宅看護となったことからです。
そんな曾祖母の主な介護は母親で、時に介護職に従事していた姉が行う事になりました。ところがある日、母親が急遽出かけなければならなくなり、私がおむつ交換を頼まれることに。
ところが私はもう何したらいいのかさっぱり分からず、ただ呆然と突っ立ってる事しかできなかったのです。
たとえば、ズボンやオムツのずらしかたや、体の動かし方、全てが怖くて出来ませんでした。そこへ仕事を終えた姉が帰ってきたので事情を話すと、もう言葉もわからないであろう曾祖母に優しく語りかけながら、アッという間にオムツを交換してしまいました。
始めはアルバイトから。そして社員へ。
私はその横で、自分の家族なのに、こんな事すらしてあげる事ができないと激しく葛藤しました。
そしてその後に姉に頼んで姉が働いていた在宅介護事務所でアルバイトとして働く事になります。そのような経験があったので始めから意欲は高かったので、それはもうスポンジが水を吸うように知識をどんどん吸収することができ、もちろん勉強もしました。
やがてヘルパー2級、次は1級(現在の実務者研修)と資格を取り、そして社員にも昇格しました。
当時の勤務は月に3日休みでした。毎日、朝は6時から晩は11時までみっちり働く日々です。それでいて給料は15万円でしたが、利用者さんたちの言葉が私の活力元だったので、我ながらもう何かあれば寝てても飛んでいく介護士だったと思います。
ところがやがて、「自分がやりたい介護」と「実際にできる介護」の間に溝が生まれてくるようになりました。そして葛藤を繰り返すうちにやがて退職を考えるようになり、そこで自分を慕ってくれる利用者さんみんなに自分の役目を全うした、と思えるようになった時に退職。
介護職の一番の基本は「ありがとう」
介護の世界へ踏み入れる理由は人それぞれですが、介護というのはとても臨機応変に動く必要がある職種です。現場を経験したものとしては、肉体的にも精神的にもタフな方のほうが、働くタイプとしては合っているのではないかと感じています。
これから介護職に就く方は、「自分はそういう性格じゃないから」と消極的にならず、なるべく進んで高齢者さんのお手伝いをしてみてあげてください。
当たり前の仕事にプラスアルファで「ありがとう」。といわれる事をしてみてあげてください。
それが介護職の一番の根本だと思います。
これから介護業界に入る方はその言葉を意識して思い切ってこの世界に入ってみれば、(仕事以外にも)学ぶことはたくさんあると思います。そしてそれは、自分自身の成長にもつながることでしょう。
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「特養」での圧倒的な人材不足と現場の現実
年齢と性別 | 40代後半・男性 |
介護施設の形態 | 特養(特別養護老人ホーム) |
介護スタッフとして働いた期間 | 正社員5年・パート半年 |
介護スタッフ時代の給料や年収 | 手取り17万円・賞与あり |
「介護もどき」をしながら資格を取る
本格的に介護業界で働く前に勤めていたのは、高齢者福祉外(介護保険外)の施設でした。
それでも介護の必要な方もおられて、日常的に介護に追われていました。でもいろいろと疑問に思うことも多かったのです。しかしそこは介護が専門の施設ではないため、的確なアドバイスがもらえる環境ではありませんでした。
その頃の私は契約職員という立場ではありましたが、仕事内容は正職員とほぼ同じなのに待遇などの差もあり、頭ではわかっていても、なんだか割り切れない思いを持ち始めていたのが正直なところでした。
そこでは三年の実務経験を経て、介護福祉士の資格を取得をしました。それからは本格的に介護の勉強をして「正職員として働きたい」という気持ちが強まり、転職を決意したのです。
継続できるコツは、人の役に立っていると思えること
介護業界は、今も昔も人材不足です。
「求人」はどこもあふれるほどあり、私はすぐに希望通りの特養に職を得ることができました。以前に”介護もどき”なことをしていたとはいえ、初心者のつもりで見てほしいと伝えて入社することができました。
そして、私の悪戦苦闘が始まったのです。
それでも始めは遅々とした仕事ぶりだったと思いますが、知識と経験が積み重なっていくのはとても楽しく感じました。未熟な私の仕事に、笑顔を返してくださる利用者の方への目線は百八十度変わりました。
利用者の方が喜んでくださり、そして家族の方が喜んでくださることは、やりがいとしては最高のレベルではないかと思います。
どんな仕事もそうではないかと思いますが、「自分が何かしら役に立ったと思えること」は仕事を継続するうえでとても重要なことではないでしょうか。
これから介護の仕事をしようと考えている方には、そこを大切にしてほしいと思います。しかし、いまの私はもうその特養にはいませんけれど…。
激務で自分の身体に異変が…
その特養では、夜勤を月に五回こなし、早出や遅出の変則勤務を続け、休日は会議やカンファレンスがありました。
そして、やがて、私自身の体調が崩れていくのを実感しました。
常時人手不足な職場では、仕事量は半端ではなく、踊り続ける靴を履かされているような気分でした。腰痛は「椎間板ヘルニア」と診断され、膝には水がたまり足が曲がらなくなりました。
更年期だからかもしれない、休養が足りないのかもしれないと、自分をだましだまし続けていましたが、もう限界!と上司に訴えたのは、働き始めてわずか4年の頃でした。
でも上司は、「今は無理。」のつれない一言です。
そこでは、特養の入居待ちのように、退職できる日を待っている職員だらけなのです。とりあえずパート勤務に変更してもらって業務の軽減をし、辞めることができたのはそれから半年後でした。
介護のやりがいとそのリスク
本当の介護って何だろうと思ってしまいます。
これは私個人の経験なので、介護技術がなくて身体を痛めたのかもしれないし、人材不足でなければ続けられていたかもしれません。
これは一特養の問題だけでなく、介護業界全体の問題でもあるかと思います。繰り返しになりますが、やりがいも大きい仕事でありながら、残念ながら現状ではリスクもあると踏まえたうえで介護の仕事に就いてほしいと思います。
それでも私が辞めた介護施設で親しくなった職員は、「介護が大好き!」と今でも利用者の方に笑顔をふりまいて、利用者の方はもちろん、他の職員まで幸せにしています。
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Comment
こんにちは
介護の仕事に就くまで不安ですけど、仕事をやり始めると以外に不安なく続けられる仕事なのでしょうか。
ノブヒロさん
>>介護の仕事に就くまで不安ですけど、
>>仕事をやり始めると以外に不安なく続けられる仕事なのでしょうか。
ノブヒロさんの「不安」がどんな点にあるのかわかりませんが、
とりあえず、どんな職場でも、一番重要なのは人間関係。
これに尽きると思います。
別に上司・や先輩にこびへつらえというわけではなく、
仕事をきちんと覚える、
他人を助けられる技術・経験を持つなどですね。
コツコツと「必要な人材」になれば、
自然とある程度はスムーズな人間関係もできます。
また、誰でも、初めての職場は不安なものですよね。
先輩や上司も、新人・未経験者に対しては
きつく当たることもあるでしょう。
その中で、自分の居場所を見つけるためには、
まずその仕事で「一人前」になることだと
思います。
どんな業種でも「一人前」にさえなれば
求人は多くなりますので。
ちなみに、不安がない仕事なんて少ないと思いますよ。
例え、高給をもらう仕事であっても。