なじめなかった売上競走
年齢と性別 | 30代女性 |
無職の期間 | 2年半 |
無職の前は | 婦人服販売 |
私が無職になってしまった理由は、
精神的に病んでしまったからです。
大手企業スーパーの中にある全国規模の婦人服売り場での勤務は過酷なものでした。不満を上げ始めると、キリがないのですが精神的に追い込まれ、結果的に無職へ進んだ経緯をお話します。まずは、労働時間が長過ぎました。
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まさかの栄養失調…
出勤時間は午前8時からのスタートだったのですが、お店がしまった後でも販売以外の仕事が沢山あるので、終業時間がなんと次の日になってしまうのです。なので深夜の帰宅になってしまいます。
疲れ切って帰宅するので、勿論、自炊などは全くできません。適当にコンビニでパンなどを買って、帰ったら倒れこむといった生活を送っていました。
こんな食生活を続けた結果、体調は悪くなっていきました。健康診断で栄養失調でひっかかった時は流石に驚きました。
「売り上げ競走」にはなじめなかった
そして、人間関係も悪かったのです。販売員というものは大体は「個人売りノルマ」があります。
お客様に買ってもらって、その売上金額によりお給料が大幅に変わってきます。そういう仕組みはスタッフ同士の人間関係を拗らせていく原因でした。
お客様を巡って、「取り合い」という戦いが始まってしまうため、プライベートで仲良くなるなんてことはまず、ありませんでした。
お金というものが関わると、人間関係は上手くいかないものですね。
歩合のお仕事などで、報酬をどんどんもらったりしたいと思っている人は別なのかもしれませんが、私にはそういう「戦い」になじむことが出来ず、毎日の生活で精神的に追い込まれ、無職へという道に逃げました。
自分が興味を持ったもの
しかし、無職になってからは、世の中に取り残されたという感覚が激しく襲ってきました。そんな無職時代の時間は、私の精神を追い込みあせりがありました。
ただその一方で、仕事をしていた時よりもライフスタイル自体は楽になっていき、余裕がでてきた頃には食関係の資格の勉強を始めました。
無職になってからはカフェに行くことが多く、カフェごはんに影響されてしまい、食に興味を持ったからです。
自分に合っているお仕事を
暇で時間だけはたっぷりあったので、勉強は順調に進み、半年で食育の勉強は終了することができました。
そして資格をとった後に、飲食店で社会復帰をすることができました。
現在は結婚し、子どもも手がかからなくなってきたので、以前の飲食店で職場復帰する予定です。そして、いつか自分で開業してカフェを作りたいと夢見ています。
公開日:
最終更新日:2015/10/05